【小林知央さん 櫻庭露樹さん】ものの見方、角度を変える 災い転じて福となす

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感情の整理

過去を振り返っているときに気づいたことがありました。

実は過去の悪かった、嫌な、思い出したくもない封印していた出来事も、
見方によっては実は悪いことではなかったのかもしれないとそう腑に落ち始めました。

かねてよりなんとなく頭では理解していたのですが(禍福は糾える縄の如しと言いますし)

とらえ方を変えることによって、
長い時間かけてようやく身に染みて内臓に落ちていった

そんな感じです。

昨日YouTubeを聞いていて、
その思っていることとリンクしていたのでご紹介したいと思います。

二つほどあります。

  • 小林知央さん
  • 櫻庭露樹さん

小林知央さんが配信されていた動画は現在は見えなくなっていますが、おそらく小林さんらしき方がやられている次のチャンネルを載せておきます↓

小林知央さん「見る角度によると…」

自己啓発の専門家である小林さんによると、お金持ちの人の多くはそんな口癖を使っているそうです。

いろんな物事には物事の悪い面だけでなく多角的にとらえる必要があります。

一つの出来事に対してこの角度で見たら、悪いことだけれども、違う角度から見たら、それが一概に悪いこととは言えないこともあります。

これは、別のブログでも書きましたが、死や別離、解雇など、一見イメージとして悪いと思われることでもそれが全部必ずしも悪いこととは言えないということです。

お金持ちの人は多角的に物事をとらえていると言います。

視点の違い

あまりうまくいっていない人の場合は物事を点でとらえていることが多い。

嫌なことが起きたときに、物事を点でしかとらえていないので、嫌なことが起きた!という嫌な部分しか見ていない、点でとらえていることが多い。

しかし「見る角度によっては」が口癖である人や物事を多角的に見られる人は物事を立体でとらえている。

ある出来事が起きたときに、
裏側はどうだろう、ここはどうだろうと様々な見方をし、論理的に考えることや
この面はどう受け取ればいいのだろう、そしてどう行動すればいいのかと多角的に考えることができると、一つの出来事で一喜一憂することがなくなってくる

と小林さんは言います。

確かになるほどなと思わせる解説でした。

物事を点としてとらえているからその部分しか見られなくなっているんですね。

陰と陽のお話でもお伝えしましたが

物事には良い面、悪い面両方が同じ分だけ含有されています。

そのお話では二面性(善と悪、光と影)でしたが、もしかしたら物事はもっと複雑で多面性を持ったものなのかもしれませんね。

きれいなバラにはとげがある…

「6人の盲人と象」という有名な寓話があります。

有名なお話なのでご存じの方も多いかもしれませんが、目の見えない盲人の一人は長い鼻を触ったり、別の人は耳や足を触ったり、それぞれが触っている部分が違うために、一体の象なのですが、同じものとは思えていないのです。

それと同じ現象が、人生の出来事でも起きているのかもしれないと思いました。

人生って解釈次第なのでしょうね、きっと。

櫻庭露樹さん「神様は覆面レスラー」

もう一つご紹介します。こちらは、風水でも有名な全捨離の櫻庭さんの動画です。

櫻庭さんは家の中のものを8割捨てろと言っています。
そうしたら人生変わるから!って😅

そうは言われてもですね…(笑)ぼちぼちときれいな家を目指していきます。

同じような英語のことわざでも

Blessing in disguise

という言葉があります。

Blessing=祝福すること、in disguise=仮装して、という意味になります。

幸せなことは仮装してやってくる、怖い姿をして実はいいことだったりする、日本語で言うと「災い転じて福となす」に該当すると思います。

お悩み相談に戻りますが、

会社で全捨離をしたのにもかかわらず、パワハラが止まらず、台所やトイレ掃除してもパワハラがどんどんひどくなる状況で、会社をついに辞めました。どうして?

という質問でした。

お答えとしては

変化が出たということは、その会社を去りなさいという意味であって、ほかの道に行ったほうがいいよというサインだった

ということでした。

全捨離したのにどうしてパワハラがひどくなるんですか!ではなく

いかに物事を肯定的に捉えられるかという神様からのテスト。

全捨離をしたからいいことが起こるのではなく、神様は悪役レスラーの仮面をかぶってくる。一見そのときは理不尽なことが起きたかもしれない。腹が立つし、絶対許せない!と感情が煮えたぎる。

しかし人生というものは長い目で見ていかないといけない。点で見ているからつらいのであって、長いスパンで物事を見れば、死ぬほどつらいことあったけど、あのとき会社辞めてよかったなと思えるような出来事が起こるはず。

この櫻庭さんも同じように、点でとらえるからつらいんだとおっしゃっています。

私もこの人生で、前の会社を辞めたことはよかったことだと言い聞かせています。たしかに地位もあったし、年収もよかった。過去最高のお仕事はできたと思います。しかし、いじめも過去最高にひどかった。ねっとりとした蛇のように陰湿で・・・

いじめの記事はこちら

神頼みで、出雲大社に行ったこともありました。そこで1万円出してご祈祷をしてもらいました。

しかし出雲に行った次の週からさらにひどいことや重大トラブルが続々と発生し、本当に首を吊る一歩手前のひどい状況になりました。そのときに私も同じように思いました。わざわざ神頼みしたのになぜ?って。

本当はそのトラブルが起きたとき、スパっと辞めていればよかったのでしょうね。そこから10か月も勤めましたから、ほかのトラブルもたくさん勃発して、病状は余計ひどくなるし精神的にもおかしくなりました。会社員での収入やそんないじめられている状態でも仕事があることに執着していたことが原因です。

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まとめ

人生は何気に長いです。

短いようですが長いです。とくに悪い状態のときは永遠に思えるでしょう。

病気になってから、無職になってから、引きこもりになって頼れる人がいなくてどうしようもない状態でも生きていかねばならないことが往々にしてあります。

そんなときにも、ものの見方・物事のとらえ方、点で見るのではなく、立体的に、多角的に違う側面も捉えられるかによって、行動も変わってくるのだと思います。

将来に対して全然動いていない私ですが、今回のこの二つの動画は、今の自分に対して同じようなことを言っているような気がしてシンクロしました。今後災い転じて福となすような人生を送っていきたいです。

みなさまの何かの気づきになれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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