【捨て活】卒業アルバムを捨てました!はづき虹映さん 古い概念を手放すとき

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捨てて自由になろう! 引き寄せの法則

卒業アルバムはずっと捨てられずにいたものの一つでした。

しかし、父の遺品整理をしている最中に、父の小学時代の卒業アルバムが見つかり、どう処分すればよいか悩みました。なぜかというと、父が大事に保管してあったのかもしれないという気持ちがあったからです。

とはいえ、私が父の卒業アルバムを持っていても何の意味もありません。私はその当時の出来事に詳しくなく、その時代を生きていないからです。もし私が亡くなったら、次の所有者がどう処理していいのかわからないでしょう。おそらく私の妹が燃えるごみで処分するか、もしくは妹もいなければ、遺品整理の業者に頼むか…

そこで父のページの写真をスマホで撮り、しばらくは父の部屋に置いておくことにしました。

いつか、誰かがやらなくてはならない

1月末に、父親の部屋のタンスを2さお捨てました。重い腰を上げて、市の委託業者に電話予約しました。玄関まで運び出すのが分解したとはいえ非常に重かったです。

2月に入り、卒業アルバムを捨てることにしました。

以前から捨てようと思っていたのに、なかなか踏み切れなかったのは、以下の理由があったからです。

  • 大切なものを捨ててはいけないという気持ち
  • 何かあったときに誰かと連絡を取る必要があるのではという不安
  • 個人情報が含まれているため、処分の仕方が分からず、豪華な装丁から燃えるごみにすることに罪悪感を感じた

しかし、卒業してから何十年も経ち、ほとんど開いたこともないし、これまで必要ないと感じていたものは今後も必要になることはないと気づきました。

大切だと思っていたものを捨てるときに、罪悪感を感じる気持ちに支配されて捨てられないでいたことに気づきました。

一度にすべてを捨てるのではなく、小学校、中学校、高校のアルバムを週ごとに少しずつ処分することで、徐々に慣れさせていくことにしました。それにより、失われる喪失感を少なくし、恐怖心や罪悪感を軽減できました。

はづき虹映さん|古い時間概念を捨てよう!

はづき虹映さんのYouTubeを見ているときに、タイムリーなことに過去の写真について言及されていました。

この2023年の2月というのは数秘術で言えば9の数字、完結の月だと言います。

2020年から始まっていた運命の3年間の終了。

このタイミングでいろいろなことが起こる意味は、古い時代を手放すために出来事が起きていると認識できる。新しい時代へ移行するために古い時代を手放さないといけない、そのために色々なことが起きている。

それ(古いもの)を握っている➔今月それに気づくために出来事が起きている、過去をクリアに、リセットすることが大切と言っています。

古い時代、過去の概念を手放すためにやるとよいこと

それはずばり

古い時代の写真を処分する

です。

はづきさんはこう続けます。

✔本当に必要ですか?

✔それを見返す時間はどのくらいありますか?

写真を見て過去こうだったという事実、証明になることが、今は少なくなっています。

なぜなら現代は写真などいくらでもソフトで加工できるし、その写真を後生大事にいつまで取っておく必要があるのか考える必要があります。はたして本当に必要な写真なのでしょうか?

その写真を見返す時間、あなたの気持ち、心は過去にいます。その過去にいる時間は今の自分にとってどのくらい大切なのでしょうか。

時間の概念

時間というのは過去から現在、未来に流れているのが通常の概念だと思います。

しかしはづきさんは今現在未来は串刺し状のようになっていてどこにでも移動できるのだとおっしゃっています(下図)。

時間の概念

過去ベースだとつい過去に縛られてしまう、過去の延長上にしか未来がないという考え方になります。

新しい時代へ行く、ジャンプするためにはやはり古いもの、今までの古い概念を手放す必要があり、

古いもの・人・ことに縛られている人は上昇できない、ジャンプアップできないと言われています。

身軽にするためには、写真を捨てることも一つの方法、手段となります。

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まとめ|身軽になろう!

自分にとってどうしても捨てられない、忘れられない瞬間を切り取った写真は持っていてもいいと思います。

すべてを捨てる必要はありません。これから使うものや生活必需品も除きます。

注意すべきは、今の自分にとって必要でない過去の品を大切に保管していることです。

捨てたらもう二度と手に入らないのではないかという不安、写真を捨てるなんて罰当たりな感じするという罪悪感───こういった感情がべったりとモノに付着している場合があります。

しかし、自分が死ぬときのことを考えてみてください。

誰かがそれらを捨てなくてはならないのです。その写真、思い出の品、数々のモノは、自分が肉体を脱ぐときにはもう必要なくなります。

私は子どもという今後引き継いでいく家族がいないので特にそれを痛感します。

多くのモノがあったとしても迷惑になるだけ。

美術品や工芸品、芸術作品などの他の人からみて価値があるもの、歴史的に長年先祖代々に大切に継承されているものがあれば別ですが、私が持っているのはせいぜい自分の寿命と思われる80年以内のモノでしょう。

必要でないものを手放していくと、自然と自分にとって必要でないものがわかってきます。

私も過去の記憶や凝り固まってしまった概念を手放すために、断捨離、捨て活を続けていきます。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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