幼少期の記憶 父の暴力 家庭内不和による心の傷

家族
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いじめの原因は自分と思っていた

職場いじめが何度も起こる

私は今まで職場でのいじめや嫌がらせを数年、
そして違う会社に変わったとしても何度も経験しました。

・自分がただ弱いからだけではないのか
・気が小さい、小心者だから
・前の上司が言ったように「気にしすぎ」というのもあったと思います。

男性上司
男性上司

気にしすぎだよ。
別にいちいち気にする必要ない
言いたいやつには言わせておけ。

こう思えたらどんなによかったでしょう

・自分の意見をうまく言えないし主張できない
・相手に反抗できない
・文句をうまく言い返せない
・人の悪口を言いたくない
・イイ人でいたいから
など、いろいろと理由はあり
すべては自分が原因で自分の弱いところに目をつけられ、いじめる相手を引き寄せていると思っていました。

なので、職場を変わっても変わっても
ストーカーのようにその場所にいる人たちにいじめ、いやがらせを受ける。
それを我慢して限界が来て辞めるという現象が何度も続いていました。

自分を責める

もちろん、いじめをしてくる人たちのことはとても憎いし許せない。
家に戻ってから、言われた言葉の記憶を思い出し、悔しくて眠れず、涙することが毎回でした。
そしてそれを心の中で反芻はんすうして思い返し、腹が立ち、生涯忘れることができない記憶としてカチカチに冷凍保存されていました。

そのときにその場で対処する
すぐに言い返す

これができたら最高なのです。
そうすればその場で解決できることもあっただろうにと、何度も思います。

言ったことによってかえって逆上されてしてしまう事件もありましたが…
*この件は別記事で書きます。

でもなぜ私は言い返せないのだろう
そしてなぜ我慢ばかりしてしまうのだろうと
ずっと自分を責めて責めて責め続けていました。

言い返せない原因は幼少期にあります。

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父の虐待

幼少期のころでしたが
父からひどい虐待を受けていました。

暴力の数々
  • 気にくわないことがあれば叩く殴るけるなどの暴力を受けていた
  • たばこの火を押し付けられたこともある
  • 殴られて歯が折れたこともある
  • 寝ているときに首を絞められたこともある
  • 常に考えを押し付けられていた
    支配されていた
  • 言いたいことを言えば殴られる
  • そのときの機嫌にひどく左右される
  • 咳をしただけで殴られる
  • 家の金を全部ギャンブルに使ってしまう
    などなど

まあ、数えられないほどボコボコにされました。
私も妹も、母も、祖母も。
今であれば、児童相談所に即通知レベルだと思います。

父はいったん切れるともう手が付けられないほどで、怒りの沸点が低いために瞬間湯沸かし器のように、いつどこでスイッチが入るかわかりませんでした。地雷を踏まないように生活をしていたつもりでしたが、あるとき急に入るのでいつも気が休まらずビクビクしていました。

そして怒ったあとはケロッとして何事もなかったかのように普通に接するので、精神的におかしい人だと思っていました。
私が30代後半になるまで、父が世界一嫌いな人物でした。

私の幼いころの記憶はあまりいいものがありません。

涙の貧乏

余談で、我が家の昔の情報ですが、
まずド・貧乏でした。

・社宅(築昭和19年ごろ)のボロボロッなあばらや、6畳、4畳半の二間の社宅に家族四人、私が15歳まで住んでいました。
中学の登下校時に、ほかの生徒から、家に入るのを見られたくないので、わざと遠回りしてずらしてから帰ることもよくありました。
「こんなボロい家、よく人が住めるなー」と、通り際に話している声も聞こえました。とても恥ずかしくて友人などを呼べませんでした。

・トイレが汲み取り便所だったこと。
・家に風呂がなかった、10歳まで銭湯に通っていたと思います。
・服を買ってもらった記憶がありません。
(母が6人兄姉の末っ子で衣類や辞書などすべていとこのお下がりだった)
・今でいう汚部屋というほどの汚さでダンボール📦や中身のわからない箱が渦高く積み上げられ、足の踏み場もありませんでした。

貧乏話は本当にいろいろあります。
今でも十分貧乏生活ですがそれ以上に貧困でした。
父がギャンブル(パチンコ、ボート、競輪、競馬など)、酒タバコで月に数十万使っていたのが一番の原因だと思います。

また、暴力の原因は父だけではなく
話が通じない、話を分かってもらえない、イライラを引き起こす母親の知的遅れにも一因あるということはのちになってからわかりました。

*これは別の記事に>>>母親の知的遅れ ご興味ある方はご覧ください。

沁みついた概念

父のそういう暴力を受けて育ちましたので

・言いたいことを言うと叱られる
・相手の意にそぐわないことだとボコボコに殴られる
・怒られないためには自分の意見は言わずに黙っていたほうがいい
・相手に何かを言われても怒りが収まるまで我慢していたほうがいい

そんな潜在意識、概念が知らないうちに心のどこかに沁みついてしまったのだと、今振り返ってみても思います。

また、人のいい面よりも悪い面しか見えない
ということもこの父の暴力の影響があったと思います。

人のことは基本的に嫌い
信頼できない存在
自分を傷つける存在

そのように幼心にもとらえていた気がします。
そして心を閉ざしてしまっていた部分もありました。
第一、一番そばにいる親がそのような
自分を傷つける、信頼できない存在だったため
自分は誰を、何を、信じていいのかわからなかったと思います。
それは今も変わっていない部分ですが…

余計な一言

父親がいつも文句を言っていた影響もあってか
人に対していやな一言をつい言ってしまう
それも気づかずに無意識で…ということがありました。

たとえば、父親が
「どこどこの家は社長の家で金持ちだから何でも買ってもらえるわ」と言っているのを覚えていて、父をまねて友人に言ったこともありました。

幼い私
幼い私

〇〇ちゃんの家はお金持ちだから
■■を買ってもらえるんだよね
習い事やらせてもらえるんだよね
旅行も行けるんだよね

言われた側にしてみたら、すごく嫌なやつだったと思います。
こういうことは気持ちでは思ってはいても、
他人に言ってはいけないことだと教えてもらわなくてはなりません。
そういう教育もなかったと思います。

言っていいことといけないことの境界線が
わからずに人を傷つけたり嫌な目に遭わせてしまったことも多々あったと思います

本当は、言ってもいいことは
自分の意見

言ってはいけないことは
他人を傷つける言葉

こういう教育を受けてこなかったがために
自分の意見も言えず、
他人に対してひどい言葉を言ったりして
他人との距離がうまく取れず苦労してきたと思います。

今はまだ人の傷つく悪いことを言わないように気を付けて
マシになった方だと思いますが

人の悪い面ばかり見てしまう
威圧的な人には言いたいことを言えず
ぐっと我慢ばかりしてしまう


その植え付けられた潜在意識はことあるごとに飛び出してきます。

父親はなぜそうなってしまったのか

長くなってしまったので
これはまた次の記事「父の暴力の理由」でご紹介します。


私はなぜこうなのかと考えるのがとても好きです。

原因を探し当てるだけでは解決はできないこともありますが
物事がなぜそうなっているのか、
この人はどうしてそういう考え方をするのか
という原因を考えるのが好きで
よく妄想、空想、考えにふけっています。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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