父の暴力の理由、そして自分の中での和解

家族

父の家庭内暴力については前回の記事で述べました。

ここでは父の幼少期にさかのぼって、父がどうしてそのような暴力的な性格になったのか掘り下げていきます。また亡くなるまでの和解の思いをつづりました。

父の幼少期

父も幼少期はとても貧乏な生活をしていたそうです。

父が9歳のときに父親(私から見て祖父)が亡くなりました。
脳溢血だったそうです。

それ以降、祖母が女手ひとつで三人の男の子を育てました。
父は長男だったために、小学生でも牛乳などの配達をしたり、夕刊を配ったり
いろいろと家計のために手伝っていたそうです。
また、高校は定時制の高校(夜間学校)に入り、昼は工場で勤め、夜は学校に通うという生活をしていたそうです。

清貧の美談と言えば美談ですが
どうやら真実は違っていたようです。
弟たち(叔父)に話を聞くと
自分がやりたくない家事労働はすべて弟たちに追いやっていたそうで、
気に入らないことがあると、弟の腕を脱臼させたり
日本刀で背中を切りつけたり(恐ろしい)
父は子供のころからかんしゃく持ちであったことは確かなようです。

父への思い

定時制の高校を出ると
それから定年までの間、同じ会社に40年以上勤めました。
母とはお見合いで出会ったそうです。

家族だからと言って人を殴っていいかと言われれば、それはもちろんNO、完全に犯罪だと思います。暴力は人の身体だけではなく精神をも破壊します。
いつ殴られるかわからない恐怖におびえていました。

また、酒やたばこ、ギャンブルにお金を投じていたことはけして褒められるものではありません。
タバコは特にひどく、
ロングピースの黄色いパッケージの強いものを1日二箱吸っていました。
それがのちに体をボロボロに壊す原因ともなり、度重なる脳梗塞や肺がんにもつながっています。

自分が働き始めて変化した父への見方

私も働き始めて10年以上がたち1人暮らしを始めたころ

大人の私
大人の私

父も働いているとき
つらいことや愚痴を言いたいこともあっただろうにな

そういうことにも気が付き始めました。
父は時折「つらい、辞めたい」と言っていたこともありました。

「なんで、どうしたの、何があったの」
と聞いてあげられればよかったのですが

まだ子供だった私は

大人なのにそんなことを言うなんて恥ずかしい
大人なら多少辛いことがあっても我慢して耐えなくてはならない

と子供ながらにも世間の考えを刷り込まれたものがありました。

しかし、自分が大人になって社会に出て、
こんなに理不尽なことがあるものだと身をもってわかりました。
昔の男の人は、つらくても簡単には辞めることはできなかったでしょう。
今は終身雇用の会社は少なくなってきていて、一番初めに入社した会社で定年まで勤め上げることは少なくなってきています。

過去は終身雇用が当たり前でしたし、40年も同じ会社に勤め続けることは、さぞ辛い出来事もあったと思います。私にはできませんでした。

しょっちゅう仕事を辞めてしまう私に対して

父

なんだ!また辞めたのか!

よく腹を立てて怒っていました。

父とは中学、高校生くらいからはもう口を利くことがなくなっていました。

何かしらもう少し話を聞いてあげられていたら
少しは状況が変わっていたのではないかと思います。

割れ鍋に綴じ蓋 

母も悪かった

父も、そういうつらいときや自分の話を
母に少しでも愚痴が言えたらよかったのですが
困ったことに母は頭が遅れていて、人の話を正しく理解できません。
今でいう学習障害、軽い知的障害が入っている状態だったと思います。

家事という家事ができません。料理ができず、いつも買ってきたコンビニ弁当やスーパーの総菜、カップ麺、菓子パンなどすぐ食べられるものがご飯でした。
ポテトチップス2袋が夜ごはんということもありました。
そのため私は肥満児で、歯磨きをすることも教えられないので歯も虫歯でボロボロでした。
「飯ぐらい作れや!」と言って父がキレていたのも今となっては納得できます。

また母の脳の異常の問題だと思うのですが、
掃除ができない、整理整頓がうまくできず、捨てられない=汚部屋 カビだらけ
何が重要か、優先してやるべきことなのか判断できない、
よって子どもが学校で次の日に必要なものが理解できない、私は迷惑をこうむっていましたし、「うちは特殊な家庭なんだ」と、他者に相談することもできずに非常に苦しい子供時代を過ごしました。

母は理解していないのに、「ハイハイ」とわかったふりで返事をします。
人にバカにされたくない、ばれたくなかったのだと思います。

そんな母に、人の悩みなどを受け止めてくれるような度量はありません。
また、自分の何が悪いのかわからない、人の変化に気が付くことがない、自分を改善することもないため、人をイラつかせる火種をたくさん持っていました(これは今も変わらず)。

それもまた父の怒りの火に油、ガソリンを注いでいた要因と思います。
せめてご飯くらいは作ってくれていたらと思います。そういう添加物いっぱいの食事が脳の血管を詰まらせたり、父が癇癪かんしゃくになる原因でもあり、長年摂取していれば体に害が出てきたと思うのです。

私も両親には自分の悩みや進路など
いろいろなことを相談できなくて非常に辛い家庭環境でした。
*母のことは別記事で書きました
👇こちらから…

また、小さいころの私には、
父よりも母が言っていることが正しいと思えてしまっていたために

暴力をふるう父が悪い

という構図ができ上がり、父の言葉には耳を貸さないようになりました。

しかし自分が大人になり、父の凶暴性を増している原因は母親にもあることがわかったのです。

女系家族

父の暴力はもちろん許されるものではないです。

しかし我が家は女ばかり。
母、私、妹の中で男がひとりポツンと対立してしまった部分はあったと思います。
あとは中学生の時に祖母が一緒に暮らし始めました。なので4対1。

父が私が男の子だったらよかったのにと言っていたこともありました。
自分が男ばかりの兄弟で育ったために女の子の扱い方がわからないとも言っていました。

私が幼いころは、釣りやアイススケートなどにも連れて行ってくれたこともありました。釣竿を海に落としてしまったり、スケートはうまくできなくて、もちろんブン殴られるのですけどね。バドミントンのラケットで頭を殴られることもあって、ラケットがひん曲がっていました。つらかったです。

まとめ 振り返り

父との確執

私が若いころは父とまともに口も聞かなかったですし
祖母への暴力も激しかったために、絶対に一生許さないと思っていました。

私は両親のような関係にはなりたくないため、結婚もしない、子供もいらない、そんな不遇な不幸遺伝子は残したくないと思っていました…事実その通りになりましたが。

私は25歳にオーストラリアに1年ワーキングホリデーに行っているのですが
ようやく行く前日になって、「明日行くから」ということを父に告げたくらい、まったく言葉を交わさなかったし、日常的に顔を合わせることもありませんでした。

霊能者に見てもらったことも…

余談ですが、父の暴力性やいつキレるかわからない性格のため、「何か取りつかれているのでは?」と疑い、父の写真を霊能者に見てもらったことがありました。

鑑定結果では、「もしかしたら未成仏の先祖霊が父に取りついて暴発している、お墓が何タラ…」と言われましたが真実のところはわかりません。
探したのですが、祖母の母親のお墓も結局見つかりませんでした。

年老いて丸くなった父

わだかまりが解けてきて、
そういう気持ちができるようになってきたのは前述のとおり
私が30代半ばになってからのことでした。
また、脳梗塞から片足麻痺になり、肺がんが見つかり、介護をされる側になってからも、若干癇癪はありましたが、それでも以前に比べるととても丸くなったと思います。
人に対して「ありがとう」なんて言わなかった父が、
訪問介護や、リハビリの先生にはいつも帰り際、ありがとうと握手をしていたのです。

結局のところ、
ギャンブルやお金遣いが荒いのは、自分が幼いうちに父親が亡くなり
お金で苦労した部分を大人になってから補おうとしたのではないか
私は憶測しています。
もちろん生活費のすべてのお金を使ってしまうことはいけないことですし、
もっともよくなかったことは消費者金融に借金してまでギャンブルをしていたことです。それだけは絶対におススメできません。

また、仕事でのストレスが相当あり
会社の人に言えない、命令に逆らえない分だけ、内弁慶な性質ゆえに
弱い私たちに当たってきていたのかもしれない。
だからといって、それを関係ない人に当たってはダメですけどね。

家族にわかってもらえなかったこと、家に居場所がなかったこと
そういうストレスをお酒やギャンブルにはけ口にしていたのかもしれません。

父の暴力性はもともとの性格も関係していたかもしれませんが、
もしかしたら私や母、妹が何か少しでも聞いてあげていたら変わったのかもしれないと今となってはそう感じるときもあります。


人にわかってもらいたいという気持ちは誰もが持つものです。
愚痴は少しでも吐き出すと楽になりますからね。
たとえ解決法がなかったとしても、うんうんと同意して聞いてもらうだけで心が軽くなります。
しかしやはり男の人だけあって、弱音を吐くことをしたくなかったのかもしれません。

父が亡くなってからもうすぐ1年半たちます。
破天荒で人とうまく付き合えなくて暴れまくってましたが
とても自由に生きた人生だと思いました。


最後の3年間、父の介護をして、父と間近に接することができて
そして看取ることができてよかったです。

おそらくはすべて最後は帳消しになる、
わだかまりがなくなって
溶けていくように亡くなっていきました。

もちろん暴力はいけないし、正当化できるものではない。
でも最期はプラスマイナスゼロ。
あんなに嫌っていた父と和解ができたのだと感じた。

↑ アメブロの参考記事です。今読んでも涙が出てきます…

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