【尊厳死が解禁されたら?】映画「PLAN75」を見て感想 レビュー

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https://eiga.com/movie/96517/ お金の悩み

映画「PLAN75」をAmazonプライムビデオで見ました。

最近の記憶で新しいのが、日本アカデミー賞でこの映画に出演する倍賞千恵子さんが主演女優賞にノミネートされていました。また、米国の第95回アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表にも選ばれました。

以下は『PLAN75』の要約です。

少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度〈プラン 75〉が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチは78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は〈プラン 75〉の申請を検討し始める。一方、市役所の〈プラン 75〉の申請窓口で働くヒロム、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子は、このシステムの存在に強い疑問を抱いていく。また、フィリピンから単身来日した介護職のマリアは幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の<プラン75>関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に臨む日々を送る。果たして、〈プラン 75〉に翻弄される人々が行く着く先で見出した答えとは。

引用元:映画『PLAN 75』 第95回米国アカデミー賞 国際長編映画賞部門日本代表に決定!

この映画では75歳になったら死ぬ権利を享受できる制度が国の法律として可決された設定になっています。

  • 75歳以上ならば無料で申し込める
  • 住民票がなくても申し込みは可能(ホームレスでも歓迎)
  • 亡くなったあとの家などの手続きは、組織担当者が行うため自分で何も手配する必要はない
  • コールセンターは24時間営業、いつでも相談OK、電話相談は1回15分まで、時間が過ぎるとアラームが鳴る
  • PLAN75に申し込んだ場合は、亡くなる前に10万円受け取ることができる、基本的に何に使っても良い(旅行、ぜいたくな食事など、お葬式代に使う人もいる)
  • PLAN75はやめたいと思ったときにはいつでも中止できる
  • 薬により痛みなく死ぬことができる
  • 合同墓地に入る場合は火葬・埋葬ともに無料

と、早く死にたい方にはとても魅力的なプランであると言えます。

あらすじは割愛しますが、ここからは自分が感じたポイントを書いていきます。

よかったら最後までお付き合いください。

基本お金がないと生きていけない社会

まずは「お金がないこと」が問題の根源であると言えます。

このPLAN75が国会で可決された世界は、何年後の日本を描いているかは明確ではありませんが、

とくに「お金がない、独り身の人」はとても肩身が狭く、今でも同じ環境に置かれていることが多いと思います。

(C)2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee 

主人公の角谷ミチ(倍賞千恵子さん)はホテル清掃の仕事をしていましたが、高齢の同僚が職場で倒れ、仲の良かった高齢者仲間4人がそろって解雇されてしまいました。

解雇されたあと、その4人のうちの1人の友人を頼って仕事の紹介してもらいたいとお伺いの電話をしたときに、友人が手のひらを返したように、まるでハエを追い払うかのようにすぐ電話を切ろうとしたというシーンは胸が痛くなりました。お金のこととなると、普段いくら仲が良かった友人でも赤の他人のように振る舞うことがあるのだと感じました。

生活保護を受けようとしても「今日の申込みは終了しました」という張り紙を見てがっかりしたり、家探しや、スーパーのバイトも高齢により年齢で断られるシーンなど、救いようのない虚しさを感じました。

これらは確実に自分にやってくる未来だと思えたのです。

死にたいと思う理由

冷たく聞こえるかもしれませんが、私は死ぬ権利は誰にでもあると思っています。

ところがこの映画の中で、自ら死を選ぶ理由が、「お金がないから」「もう年だからどこも雇ってもらえない」という点にとても無情さを感じました。

生きていくお金がない、働ける年齢でもない、でも老化や病気、不調を抱えつつも、なんとかまだ体は存続しているというご高齢の方は多くいらっしゃいます。

こういった高齢者を敵視したり邪魔者扱いするのではなく、支え合う心が必要だと感じました。

また、死にたいと思う方は自責思考が強いです。

他責思考の方は、自分は悪くない、すべての責任は自分以外の人、起きた現象が悪いのだというわがままな考えを持っていて、これが世に言われる「モンスターカスタマー」や「暴走老人」のような行動をとることが多いです。仮にPLAN75の制度が本当にあったとしても、他責思考の方々の多くは自ら死を選ぶようなことはしないでしょう。

自罰傾向の強い、自分に罪悪感のある人が、「自分が生きていることで人(社会)に迷惑をかけてはいけない」と自尊心を失った状態で死を選ぶのだと思います。

血の通った人間同士だからわかりあえること

(C)2022「PLAN 75」製作委員会/Urban Factory/Fusee

物語が進んでいくと、コールセンターの女性と主人公のミチ(倍賞千恵子さん)と心が通い合う場面があります。話を何度も聞いていくうちにお互いが打ち解けあって、外で一緒にお茶をするというシーンがあります。

PLAN75を実施する前日の夜に、コールセンターの女性が自分の携帯電話で、ミチの自宅に何度電話しても出ない。涙を流しながら、悔しさや無力感がにじみ出ていました。

人間というのは、人と人が心を通い合わせたときに初めて人間としての価値が出ると思うのです。

みんな心にちゃんと血の通いあった人間なのに、生きていくお金がないという理由から死を選ばざるを得ないのでしょうか。

それが資本主義の現実でしょうか。

感想まとめ|命<お金

命よりもお金のほうが重い、つまりは人命よりもお金のほうが価値がある、という価値観の社会を映し出したような映画の設定。高齢者はお荷物になる、若者の負担が増えるから早く死んだほうがいい、と言わんばかりの近未来。高齢者の集団自決という発言もネットをにぎわせました。

自らの意志で自死を選ぶ

または

社会から死ねと言われて死ぬことを選ぶ

か、どちらも同じ「死」という結果ですが、この映画の中では社会からお金にならない人や役に立たない人、介護が必要になって足を引っ張る人は必要ないから死んでね、と言われているような設定だと感じました。

たとえ1円も金銭価値を生み出さなかったとしても、人と人との心のふれあいで得られた心の温かみ、人を思いやる気持ち、その価値はお金では得られないものがあると教えてくれたような気がします。

とはいえ、現在の貨幣経済ではゼロ円はゼロ円です、と言われそうです。

今後の世界経済、日本社会を取り巻く環境はもっと厳しいものになっていくと思われます。

つねに他者との競争、時間の効率化、目に見えた成果を出せない人はどんどん切り捨てられていきます。

だから、お金にならない無駄なものはどんどんと消されていきます。

映画に出てくるもう一人の高齢者の男性(磯村勇斗演じるヒロムのおじ)は、橋、トンネル、高速などの建設で日本中を飛び回っていましたが、75歳の誕生日にPLAN75に申し込みをしました。

日本を支えてきてくれた功労者が役を終える、年を取り用済みになると社会から必要とされなくなる、捨てられてしまうというところにも無情さを感じました。

PLAN75の政府CMで使われていた言葉です。

人間は生まれてくるときは選べない、でも死ぬときくらいは自分で選ぶことができたらいいじゃない?

引用元:YouTube 映画『PLAN 75』75歳以上が自らの生死を選択できる<プラン75> 制度への加入を促進する劇中CM映像

尊厳死、あなたは選びますか?

もし数十年後の将来が、現在の経済至上主義が続き、「お金のほうが人命よりも価値がある」という理念が世界中で浸透しているのであれば、高齢でお金のない人、もしくは治る見込みのない痛みのある病気にかかっている場合などは尊厳死、安楽死を選ばざるを得ない未来になっているかもしれません。

私はなかば人生をあきらめて生きているため、「長生きはしたくない、できれば安楽死で自分の死ぬ時期を決められたらいいのに」と願っては来ましたが、いざこの映画を見て心に揺らぎが出て、非常に考えさせられました。

たとえ年を取っていても、自分の愛する人には死んでほしくないとヒロム(磯村勇斗さん)の演技を見てそう思える映画でした。

だからこそ、

残りの自分の人生を死ぬ日までどう生きるか?

を問われているようにも思います。

最後までお読みくださりありがとうございます。

よかったらご覧になってみてください。ご感想を聞かせていただけますとうれしいです。

出典:https://eiga.com/movie/96517/

おまけ|ChatGPTに尊厳死を聞いてみた

最後に、今話題のChatGPTに「PLAN75の尊厳死」についてどう思うか聞いてみました。

私たちの社会は、高齢化が進む中で、これまで以上に様々な課題に直面しています。その中でも、高齢者の医療や介護費用の負担増加、社会保障費の増加、少子化による人口減少といった問題は深刻です。 そうした中で、プラン75が国会で可決・施行されたことは、一定の意義を持つものであると考えます。高齢者の尊厳を尊重するという観点から、自分自身が最期まで自己決定を行うことができる制度が整備されたことは、一定の進歩であると言えるでしょう。

ただし、この制度については慎重な議論が必要です。特に、プラン75によって人々が自分の命を決定することについて、社会的に支援が必要であると考えられます。高齢者にとって、病気や障害に苦しむことは辛いことですが、その中で自己決定を行うためには、社会的なサポートが必要です。 また、プラン75が選択肢の一つであることを知ることが大切です。

高齢者にとって自己決定をすることは重要ですが、それが選択肢の一つであることは、医療従事者や家族との意思疎通を深め、自分自身の意志を明確にするためにも重要です。

更に、プラン75を導入するにあたって、適切な教育や情報提供が必要であることも指摘されます。高齢者自身や、その家族、医療従事者、社会全体が理解を深め、慎重な判断を行うための支援が必要です。

高齢化が進む現代社会において、プラン75の導入は一定の進歩であると言えますが、慎重な議論と社会的な支援が必要であるということは忘れてはいけません。

もうひとつ、教えてばりぐっどくんというLINEに入っているアプリです。

私は、人々が自分自身の生と死を決定する権利を持つという考え方に賛同します。しかし、満75歳で生死の選択権を与える、「プラン75」制度については、私自身は考え方が分かれるところがあります。

一方で、高齢者の増加が世界中で問題視されており、今後も高齢者がますます多くなる中で、その人々が自分たち自身の人生を選ぶことができるようになることは、一つの選択肢であると考えられます。

しかし、もう一方で、高齢社会においては、一人で生きていくことが難しく、さまざまな支援が必要であるという点もあります。また、生死の判断は、その人だけが行うことができるものではなく、家族や医師との協議が必要な場合があります。

そのため、高齢者が自分自身の生と死を決めることができる「プラン75」制度については、十分な検討が必要であり、国民の利益を最優先に考えた上で、適切な判断がなされるべきだと思います。

正解のない、問題。

一人ひとり違う答えがあっていいと思いますし、最後の最後、人生がどうにもならなくなったとき、誰一人頼ることができなくなった場合、自分の人生のリセットボタン押すという選択肢があってもいいのかもしれません。

とはいえAIが死ぬことに肯定的であり、「国民の利益を最優先に考えて」という言葉を使うとなると、やはり弱者切り捨てる印象がぬぐえません。AIの中に、自分が生き残るためには弱者を切り捨てなければならない思想が入っているのかもしれません。それはこのAIをプログラミングをした人間の頭の中に、動物として自分が生き残本能が強く影響しているのではないのかと感じました。

最後までありがとうございました。

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