ヨガのクラスにいくと、よく会う50代の女性の生徒さんがいます。
ある日、その人がヨガの先生に相談を持ち掛けてきました。
その内容は…
自分の姪が
- 自分勝手で利己的で文句ばっかり
- いつも人の悪口ばかり言っている
- 執着が強く否定的
- うそをつく
なんとか変えさせたい
執着を手放すためにどうしたらいいか
姪を変えたいという話をしてきました。
それでヨガの先生はこう答えました。
先生の反応 バカボンのお話
先生は意外にも赤塚不二夫の「天才バカボン」を読んだらいいんじゃない?と。
じつは、天才バカボンはとても奥が深く仏教の教えが入っているというのです。
赤塚不二夫は仏教にも精通していて
これでいいのだ!というセリフはありのままを受け入れるという精神。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と
引用元:バカボンのパパから教わる「あるがまま」
赤塚不二夫の葬儀のときのタモリさんの弔辞、白紙で読み上げた言葉だそうです。とても響きました。
また先生は、「弟で頭のいいはじめちゃんの名前は、仏教家の中村元さんから取った」と教えてくれました。
中村元博士は東大の名誉教授、インド哲学・仏教学者です。多くのサンスクリット語やパーリ語経典を翻訳された方で、日本だけでなく海外でも有名な方だそうです。
その質問について、私はこう思いました。
自己変容とは
人は人から言われて変わるものではない。
自己変容は自ら気づくもの。
自ら変わりたいと思ったときに初めて内側から扉が開く。
他人からとやかく言われて、無理やりやる変化は押しつけになる。
本人に、いつかガツン!!!というような自分を変えざるをえない出来事があり
それによって初めて本人が気づくことがあるだろう。
そのときに本人の目が開くこともあるだろうと…
そして気が付かなければ、
最後には自分で自分の種を刈り取るという作業が待っています。
いい種を植えればいいことが起き、
悪い習慣、悪い種を植えていればいつかは悪いことが起こります。
それは因果応報、原因と結果の法則で
ほかの誰でもない、本人が必ず刈り取らないといけないものなのです。
その相談してきた女性に対しても
人を思い通りにしたい、自分の期待通りになってほしいという意図が見て取れました。
そもそも、思い通りにはできないということを知ることが重要。
人に対して助言する、アドバイスするということは可能だが、
それを受け取ってうまく生かす、そのアドバイス通り行動する
というのは本人の意思次第であり
本人がやりたくないことや乗り気でないことを押し付けるのは親切の押し売りにほかならない。
そもそも、その姪御さんはそのおばにアドバイスを求めてきていたのだろうか?
おばさん、助けてください
アドバイスをください!
と言われていないのに
その人を変えたいというのは冒涜に過ぎない
自分の考えの押しつけだと感じてしまいました。
人のふり見て
その女性は、私に対しても
- 結婚していないのはよくない、悪いこと
- 独り身はかわいそう
- 気の毒だ
と思っていて何かにつけてお見合いや結婚していたほうがいいということをチクチク伝えてきます。
私はスルーしていますがやはり世間一般にはそういう考え(結婚しているのが当たり前)が根強く残っているものだと感じました。
自分もそういう考えの押しつけをしていないか、人のふり見てわがふりを直そうと反省しました。
自分をどうやったら変えることができるか
自分の殻を破って行動していくにはどうしたらいいか。
それについては別の記事にしたいと思います!
自己変容は自分が変わりたいと思わなければ始まらない
合わせて読みたい関連記事>>> ヨガの先生とのお別れ すべてのことに終わりがある
コメント