自分が生きていていいのかわからなくなるほど、落ち込んでいます。
むしろ生きていて申し訳ないとすら思います。
罪悪感、無価値感や居場所がないといった感覚に襲われています。
年をとればとるほど、もう次の打つ手がないように感じています。
橘玲さんの本で「人生は攻略できる」の中にあった図ですが、
年齢がいけばいくほど、そして不幸のラインを下回ってしまうと
Ⓐの地点を超えると、より選択肢がなく不幸な状態に陥ってしまいます。
ある程度の年齢を超えて不幸な状態でいる場合、軌道修正はよほどのことがない限りとても難しいということです。
「人生いつからでもやり直せる」という、確証もないのにただ元気づける言葉は空虚であり、現実的ではなく、事実に即していません。
ごく一部の人間だけに与えられた特権のような気がするのです。
もはや打つ手がなく、若いころには多少あった選択肢がもう今はありません。
- お金、種銭なし
- 仕事も長期間離れていてブランクあり
- 目だった職歴もない、技術なども中途半端
- とくに結婚する予定もなく扶養してもらうあてもない(精神的に支えあって生きる人がいない)
- 親が死んだら終わり
何もせずとも時間だけが恐ろしいスピードで過ぎ去っていきます。
このままいくと
考えつくところ、それくらいしか道がありません。
もう残された道が、自己再生できる道がそれほど多くは残っていないということです。
しいていえば棚ぼたで宝くじが当たるくらいですが、それも生きたまま雷に当たる確率と同じですから、そのお金を使っておいしいものでも食べたほうがよいのでしょう。
先回りする思考|どうせうまくいかない
働かなくてはいけないと思えば思うほど空回りして、ますます動けなくなるのです。
もし働いたとしても次の会社でも理不尽な嫌な目に遭うだろう、
女性社員の派閥からいじめにあったり
立場が低いゆえに言いたいことも言えない状況になるだろう
いろんな不安や恐怖が襲ってきます。
何よりも自己否定されるのが目に見えています。
就職面談するときに、
なぜ今まで働いてこなかったんですか💢
社会人として恥ずかしくありませんか💥
などと執拗に責められるのが怖い。
生きる望み、希望がまったくない
生きていく希望がない。
挑戦もしていないのにあきらめるのは甘いと言われればそれまでですが
『もう自分の人生にはよいことが残されていないのではないか』という強い思い込み、信念、一種のあきらめがあります。
この先に少しでも希望、何かしらいいことがあるならば、それに向けて頑張れる気持ちはありますが、何も確約されたものもなく、見込みが薄いものがほとんどです。
- ブログやネットで稼ぐにしてもごくごく一部の人が稼げる世界。
- プログラミングも一般の人がやってみてすぐにできるようなレベルには程遠いです。(挫折しました)
- 働くのだって魑魅魍魎の世界、いじめられて終了。
何をやったって結果にならないだろうから、動いても仕方ないと先に思ってしまうのです。
先ほどの可能性の話で行けば、もう選択肢がないあたりを進んでいくので、先細っていくだけ…
何をやったとしてもうまくいく気がしませんし、けして成功するとは思えないのです。
私は今、このAという地点を過ぎ、先細りしている部分にいます。
生活保護 扶養照会の闇
少し前にホームレスの収録をしたニュースを見ました。
ホームレスの伊東さん(仮名)は猫と二人暮らし。
16年前までは自営業で建築会社の社長。バブル当時、一時は月の売り上げが5000万円もあったそうです。
しかし会社が倒産してからは、ほかの建築会社で雇われていたがトラブルがあり辞めざるを得なくなりました。
建築現場で働いていた経験を生かして、お風呂などを自作で作って自作の家で生活しています。
夜間に空き缶を拾ってせっせと売る生活を続けています。(月に4万円程度)
炊き出しなどを受けずに、なんとか猫のエサ代と自分の食料だけは確保するようにしているそうです。
ホームレスのまま、生活保護を申請しないのにはわけがありました。
扶養照会
その理由は自分が生活保護を受けるときにされる「扶養照会」
35年前に離婚をして、当時3歳だった息子とはそれ以来会えていません。
その息子に照会がいくのを恐れているためです。
扶養照会というのは
扶養照会は、生活保護を申請しようとする人や、生活保護で暮らしている人の3親等内の親族に対して行われてきた、「援助できませんか?」という問い合わせである。金銭的援助が可能な親族がいて仕送りを行うと、保護費はそのぶんだけ差し引かれるため、本人が使える生活費は変わらない。
引用元:DIAMOND Online 生活保護「扶養照会」の不要ぶりを、厚労省が認めざるを得なくなったワケ
3親等というと両親、祖父母、曾祖父母、叔父叔母、自分に子がいるなら孫、ひ孫まで含まれることになる。かなり広すぎないでしょうか?
この扶養照会の範囲は世界的にも見て、日本は”異様な”広さだそうです。
主に配偶者や、未成年の親に対しての扶養義務が主であり、ドイツでは同居していない人には照会は行きません。
こちらのYahooニュースでは、生活保護の扶養照会の「闇」について触れています。
現在のコロナ関連において失業者が激増しており、給付金がもらえないかぎり、セーフティーネットとしては生活保護しかありません。
そして、生活保護を受けられる人のうち、なんと2割程度しか受けられていないというのが現状です。
生活保護の捕捉率(受給資格のある人のうち、実際に受給している人の割合)は2割程度と言われており、かなり多くの人たちは保護申請を避けている現状がある。
その要因の一つとして、保護申請時に行われることの多い扶養照会の存在が挙げられる。扶養照会は申請者の親族に対し、扶養(金銭的援助など)の可能性についての文書を送付する制度だ。生活保護申請を家族に知られることを恥だと思う人も多く、保護申請の大きな障害となっている。(中略)
つくろい東京ファンドが都内の自治体(足立区、台東区、大田区、荒川区、あきる野市など)を対象に調査したところ、行政による扶養照会が実際の扶養に結びついたのはわずか0~0.4%だったという。
POSSEにも、年金生活をしている80代の高齢者や、大学生に扶養照会が送られたというケースが寄せられている。いずれも、明らかに扶養が履行できるとは到底思えない人たちに照会を行っているわけだ。
引用元:Yahooニュース生活保護の扶養照会の「闇」
扶養照会をかけて3親等に連絡をしても、実際に援助してもいいというのは1000人に多くて4人いるかどうかの世界。
こんな声もありました。
「父親のDVで、15歳のときに母とシェルターに逃げた。生活保護申請時に事情を話して扶養照会をしないでほしいと伝えたが、『規則なので』と言われました。扶養照会により父親に居場所がバレて何度も押しかけられた。生活保護費も、家電なども奪われました」
「86歳の女性が、30年以上も音信不通だった81歳になる弟の扶養照会を受けた。わずかな年金収入しかない高齢者に扶養照会をするという感覚が信じられない。もしや援助しないと罰せられるかもしれないとさえ彼女は感じて、不安でよく眠れなかったそうです」
引用元:Business Journal 30年も音信不通の家族にも扶養照会
年金生活をしている人やDVを受けた被害者にまで照会をかけるなんて、鬼以外の何物でもありません。前者の方は居場所を教えられたということで実際に被害に遭われています。
制度だからそれに従うというただ機械的なシステムで、その制度が形骸化しているといわざるを得ません。生活保護を申請したのに、自分の傷口に塩を塗り込まれるように、知られたくないことを長年連絡を取っていなかった親族にわざわざ知られるようなものです。
また親でも、仕事をなくしたという心配を子供にかけたくない人は多くいるでしょう。まったく連絡とっていない親戚や、貧窮していることをいえない人など複雑な事情は各家庭ごとあると思います。
生活保護を申請する時点で、そもそも身内に頼れないということなのです。頼れたなら、お金借りられているはずです。
昼間からパチンコに行って生活保護を無駄に使っているという意見もありますが、本当に必要な人に行き届かないことのほうが大きな問題だと思うのです。
それによって人生をあきらめて自殺する人があとを絶ちません。
ホームレス伊東さんの印象
さきほどのホームレスの伊東さんの話に戻りますが、
動画で見た姿の伊東さんは、
けしてプライドを失っておらず、動ける限りは頑張る、炊き出しももらわない、
生活保護を自分から受けようとはしない姿や
自分の食い扶持くらいは自分で、
人間らしくありたい!
という言葉が印象的でした。
体が動けるうちは自分で何とかしないと!という精神的なタフさが残っていて、
猫もいる間は頑張らなくては…という意思が伝わってくるようでした。
DaiGoさん|ホームレス=生きる価値ない?
最近、DaiGoさんがYouTube生配信中に、生活保護、ホームレスの人権について炎上していました。
ホームレスの命より猫の命を救いたいと…
好き嫌い、優先度合いをいうのであれば
身内の命 > 知らない人の命
でしょう。これは賛同します。
しかしホームレスは誰しも好きこのんでそうなっているわけではないのです。
ホームレスというひとくくりにしてありますが
ホームレス、という状態なのです。
生活保護、という状態なのです。
個人を表す固有名詞ではありません。
ひきこもりも同様で…ひきこもりという状態を指しています。
ですので「ホームレス、生活保護、ひきこもり」は誰もがなりうる状態なのです。
お金のあるなしで人を差別するのは
この現在の格差社会、資本主義社会では当たり前なのかもしれませんが
生きる権利は誰にでもまっとうに与えられたものなのです。
お金持ちだから人の命を軽く扱ったり、何でもヘイトしていいのかといわれたら、
そうではないと答えます。
お金持ちだからこそ、口は災いの元というのを知っていると思います。
またDaiGoさんという影響力のある人ならばなおさら…
いくら人を嫌おうともさげすもうともそれは心の中では自由です。
ただ、自分が思っていることとそれを言ってもいいかどうかは別の次元になると思います。
それが攻撃に当たる場合はまた今回のような大きな反発を食らうことになるでしょう。
ホームレス、生活保護の人の命よりも猫の命のほうが大切って‥‥
江戸時代の「お犬様」のようなデジャブ感🐶
まとめ|落ちるところまで落ちてみる
今後の自分、どこまで落ちていくのか…
まだ先細りの先のほうまで、
身動きの取れないところまで行くことでしょう。
もう今は引き返せないところ、
出口のないリンボ*に入ったような感覚です。
*リンボとは死者が行く天国でも地獄でもない場所
ただ今はひたすら流れる時間に押し流されて生きている…
毎日をこれといった大したことをせずに溺れている…
そんな状態です。
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