【アバタローさん】今も昔も悩みは同じ『方丈記』鴨長明 要約 感想

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方丈記 感情の整理

アバタローさんの声が好きです。

『方丈記』、名前くらいは聞いたことはあるのではないでしょうか。

私は歴史で習ったけれども内容は全く覚えていませんでした。(そもそも歴史に興味がない…😅)

そして今回この内容をYouTubeで聞いて、800年も昔のことなのに

人間の悩みというのはほぼ変わっていないものなのだなと感じました。

方丈記を書かれた鴨長明さんと、その内容について感じたことをシェアしたいと思います。

鴨長明さんの生い立ち

鴨長明さんは不遇な人生を送ったといわれています。

  • 下鴨神社の神事を統率する禰宜ねぎの鴨長継の次男として京都で生まれた
  • 自分が19歳のときに父が病死
  • 親戚などと後継者争いに負けてしまい、神職を継ぐことはできなかった

親戚が蹴落とす、権力争いはいつどんな時代にも起きていたのですね。

鴨長明氏は神職につけず出世レースから外れたために、

大好きだったものにエネルギーを注ぎ、琵琶と和歌の腕を神がかり級に磨きます。

年齢はいつしか47歳に。

時の天皇後鳥羽院が「新古今和歌集という和歌を作れ!」という指令を出します。

勅撰集ちょくせんしゅうとは
  • 国のトップによって命令されて作られた書物のこと
  • 『新古今和歌集』というのは代表的な勅撰集のひとつ
  • 編纂へんさんは国家事業そのもの

全国から和歌を極めた天才が集められ、そのひとりに鴨長明さんが選ばれました。

「これはまさしく天命だ!」とがむしゃらに働いた長明さんを見て

後鳥羽院が「褒美をくれてやろう」と欠員がちょうど空いている河合神社の禰宜ねぎの役職を推薦してくれました。

その河合神社の禰宜職は、かつて長明さんの父も務めたことがあるポスト。いづれ下鴨神社の禰宜になるのに登竜門的な役職でした。

ここでアバタローさん的たとえ。

会社を例にすると

ずっと無断欠勤しつづけて50歳手前まで窓際族だった平社員:鴨長明さんが

プライベートで仲良くしている国のトップの人間(後鳥羽院)

「僕の政治力と人事力で関連会社の取締役にしてやろうじゃないか!」と言われ

まさに人生大逆転のぶっ飛びカード!

長明さんは涙を流して喜んだといいます。

お任せあれ!
お任せあれ!

父の名に恥じぬよう不撓ふとう不屈の精神で頑張ります!

と長明さんが意気込んだのもつかの間

またもや親戚たちの反対に遭い、後鳥羽院もそれに屈してしまいます。

せっかく頑張ろうと思っていた長明さんはテンション駄々落ち…と絶望の淵に立たされます。

悪く思った後鳥羽院が何とか埋め合わせをしようとほかの仕事を紹介してもそれを断り、

長明さん
長明さん

もういいです

ほっといてください

彼は出家の道を選びました。

俗世間的な都から離れ、静かな山奥にDIYで小屋を建てたのが方丈庵です。(方丈は3メートル四方のこと)

そしてその方丈庵というとても小さな小屋で「方丈記」という作品を書き上げ、世のはかなさと己の心の内を訴えたというわけです。

復元された方丈庵に一度訪れてみたいものです。どのくらいの大きさなのか実際見てみたいです。

方丈記の内容

方丈記の内容は、この世の無常であることと、大半はその時代に起きた災害を詳細に書かれているといいます。

世は無常

river flow

原文:ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし

訳:川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。
引用元:ベネッセ 方丈記

うんうん…これ学校で習った(聞きかじった)記憶ありますよ。しかし学生当時にはそんなことを考えるほどの精神的な成長もしていないし苦労もしていない、ですので共感することもなかったわけです。この世のはかなさなんて、10代のころにはまったく気が付かないもので、挫折したときに初めてこういう深いことを考えるのではないでしょうか。

アバタローさんのご紹介では次のように続きます。

都に行くと豪華な家々が競い合うように立っている
ずっとそこに存在し続けるかのような光景だが実際はどうだろうか

昔からある家がそのまま存在し続けるなんてことは実にまれな話だ
去年火事によって焼失した家のあとに新しく建てられた家もあるし
大きな屋敷のあとに小さな家が建つこともある

家がそんな調子なら当然住む人間だって同じことだ
朝に死ぬ人がいると思えば夕方生まれる人もいるだろう

そんなありさまはまさに淀みに浮かぶ泡に似ている
生まれては死んでいく人間たちがどこからやって来てどこへ消えていくのか
私にはよくわからない
またしょせんは生きている間だけの仮の宿に過ぎない家をわざわざ苦労して建てることも
出来上がった家を見て喜んでいるのもよくわからない

例えばアサガオの花に小さな水の露が宿っている姿を想像してみてほしい
露が先に地面に落ち、花が残ってもその花は朝日を浴びることによってしぼんでしまうだろう
逆に花が咲きにしぼみ、露が残ってもその露だって夕方になれば蒸発して消えてしまう
だろう
家とそこに住む人間もまさに似たような関係なんだ

引用元:アバタローさん 方丈記YouTube 9:35-

この部分においては今も昔も全く変わらないものなのですね。

どんなに豪華な家に住んだとしてもそれは永遠に続くものではない、

仏教用語による諸行無常=人間と人間のすみかについてのはかなさを訴えているものだといいます。

人間の生というのは実にはかないものなのに、皆さんなんでそんな立派な家に住みたがるんですか?という話です。

現代のミニマリストに近いものがありますね。

鎌倉時代の平均寿命は24歳とあります。これは乳幼児死亡数が圧倒的に多かったため、このような低い平均寿命になっていますが、著名人の寿命は40-50歳くらいだったとされています。
ソース元:鎌倉時代の平均寿命は?

現代の寿命の約半分にしかすぎないため、その無常観はきっと今よりもはるかにすさまじいものだったと想像できます。

5つの災害

1.安元の大火

2.治承の辻風

3.福原遷都

4.養和の飢饉

5.元暦の大地震

これらのことについて方丈記の著書の中で詳しく述べられています。

とくに地震については昨今の日本の大地震で折に触れ、方丈記が取り上げられていると聞きます。

その昔から日本は地震大国であり、台風や飢饉などの災害にも多く見舞われており、それは今も変わりありません。地震や津波ほどおそろしいものはないと鴨長明さんは訴えていますが、人々は2,3年もたてば忘れてしまう愚かさについても語っています。

3.福原遷都については、もはや人災と言ってもおかしくない政治の愚かさをうたっています。

福原遷都とは

京都からいきなり福原という土地に都を移すという決定がなされてしまった。

今まで400年以上京都が都だったのに、国民の理解なしの強行突破だった。

そんな移転がうまくいくはずもない。

競い合うように建っていた豪邸は連日解体されていき、歴史ある古い都は見るも無残に荒れ果てていった。

その一方、新しい福原では一向に都が完成しない。もともと福原に住んでいた人たちは強制的に土地を奪われ、新しく京から移住してきた人たちは一から家を建てねばならず、人々のストレスが爆発し、わずか半年で都を京に戻すということになった。

しかし歴史ある京の都はそこにはない。あるのは荒れ果てたボロボロの家と土地だけだ。

昔の賢い君主は慈愛をもって国を治められたという。余計な贅沢をしないように自らを律し、さらには人々のかまどからのぼる煙の少ないのを見れば、税金さえ免除した。

それに比べて今はどうだろう、国民や世を大切にしていると本当に言えるのだろうか?

引用元:アバタローさんYouTube

たとえると、いきなり「明日から首都をさいたまに移す!」と命令しておいて、半年後に「あ、やっぱり戻すわ…」と言われたようなもので誰もが困ります。

今の政治に似たようなものを感じませんか?

国民の理解を得ずに強行突破する五輪や、

かつて税金を課さなかった賢い君主がいたが、今の政治は世の中のため、人のためを本当に考えてくれているだろうか?というくだり… 

コロナのために20兆円も税金余ってるなら、困っている民にちゃんと還元しないと…

布製ガーゼのマスクも使っている人いないでしょ?

20兆円余っているなら、来年度はその分の税金取らないくらいの心構えであってほしいです。すべて使い切ろうとするから誤った方向に行きます。(年度末の工事など使い切ろうとする)

家計ならば貯金したり将来の蓄えや、足りないところのために補填するのに、国家事業ではすべて使い切るのは何事かと…

この世の中は生きにくい、

自分の力ではどうすることもできない災い、困難で不運な人生を送り

この世は無常であり、乗り越えることだけでなくあきらめることも救済の道だと長明さんは言っています。

執着していたのは自分自身

最後のパートでは、

自分の寿命が近くなってくるころ

長明さんはこの家で暮らすこと、その生活に愛着を持ち始めていました。

仏の教えでは何事においても執着を持つなと言われており、

俗世間から離れ出家をして、

貧しい暮らしをしながら、

この世の諸行無常を悟っているはずなのに、一番執着していたのは自分かもしれないというオチでした。

所詮は人間というものはこういうものなのかもしれませんね。

まとめ|諸行無常 大災害と人災は変わらない

水の流れのように何事も諸行無常であり、この世ははかないものであることを記した方丈記でしたが、人間の愚かさや大災害などは現在に通ずるものがあると感じました。

とくにこの世は生きにくい」という部分、私も共感してしまいました。

800年も前の人が同じように思っていたかと思うと、長明さんに親近感わいてきてしまいました。

不遇な人生

親が早くに亡くなり、親がなくなったあと親戚争いに巻き込まれ、
そして天皇の推薦もあったにもかかわらず、親戚の反対に遭い、喉から手が出るほどほしかった神職の地位には就けず、独身で妻子もなく、俗世間から身を退き出家、そして方丈庵で方丈記を書いた―

まるで今のニートや引きこもりを連想させます。今でいう世捨て人のように人との関わりを断ってしまっている。人生どこで歯車が狂ってしまったのだろうと。

そしてもういいやと投げ出したくなるような、長明さんの気持ちもよくわかります。

鎌倉の時代にも、親戚同士の足の引っ張り合い、政治の腐敗、いろいろあったんですよね。

人間性、精神性に関しては全然進化してないじゃないですか?

意地悪い人はずっと意地が悪いですし、老害のように下手な要求をする人、クレーマー、ネットでの誹謗中傷も増えました。

逆にテクノロジーの面では比にならないほど発達しました。

✔蛇口ひねれば水は出るし、飢饉があっても明日の食べものに困ることはない

✔牛車で荷物を運ぶこともなく、自動車やバイクに代わった

✔建物も昔よりかもっと早く2,3か月で家が建つ、免震構造など進歩

✔ネットやテレビもあるし、必要なものは買いに行けばたいがい手に入る

✔ぽちっとすれば家まで届けてくれる 食品から大型商品まで

✔世界中のニュースもネットで瞬時にわかるようになった

✔その時代には考えられなかった海外にも自由に行けるようになった

今の一日の情報量は江戸時代の1年分に匹敵するという話を聞いたことがあります。

疫病や、台風、地震などの災害はその当時から変わることなく起き続けますね。

そして政治的不信、今はコロナの影響で、お店は支援金ももらえなかったり、未来を絶望することによって命を落とす人も多いです。

長生きするデメリットですね。この先80,90もしかしたら100歳以上生きる可能性が濃厚になり、そのときにインフレが来たらどれだけ蓄えておいてもお金は足りません。

現在40歳の人がせいぜいあと10年で寿命かと思うのと、
平均90歳まで生きる現代とでは、まだ50年も生きねばならないという金銭的プレッシャーもあるのは確かです。

そう考えると早く死ぬというのも短く深く濃く生きられるメリットではある気がします。

人生とは長さでなく深さ、濃さ、どれだけ充実して過ごせたかと私は思うのです。

どの時代にも自然災害と人災(人の愚かさ)は数百年前からずっと変わらないようです。

私はこれを読みました👇

執着を手放すことはこの時期からずっと言われているのに、全然学んでいないのですよね。

それが人間というものなのかもしれません。

持っていていい執着 ダメな執着

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