昔の職場いじめのメールを掘り返していて、気が付いたことがあります。
その当時のいじめ・パワハラにより、自分があまりに精神的に追い込まれ、グラグラと腑抜けになり、思考能力が抜けて他人のいいなりになっていたことです。
カウンセラーや相談相手だった人の意見をうのみにして、その人の意見に自分の行動を合わせてしまっていた部分がありました。
あの人がこう言っているからこれが事実なのだろう(自分は精神的に参っていて正常な判断ができないので)このカウンセラーに言われているアドバイスに従うべきだろう…などと考えて(=思考優位)
本当は嫌なのに自分の気持ちを一切無視して相手に合わせてきた部分があります。
それは反省するべき点であり、今の自分に対しても暗い影を落としています。
カウンセラーが100%正しいとは限らない
この職場いじめが始まって1年くらいたったころ、知り合いに頼ってキャリアカウンセラーのところに1か月に一度通うようにしました。
仕事上の悩みではなく、この職場での女性上司、女性同僚(子分2名)などからの陰湿ないじめのことについて話を聞いてもらっていました。
このカウンセラーは人柄はとてもいい人ですが、100%自分の味方になってくれていたかというとそうでもないかもしれません。今考えると疑問です。
何があっても大丈夫というような大きな愛情で包み込んでくれるような包容力があるタイプではなく、どちらかというと叱咤激励するほうのタイプで、私が気づいていない部分をときに辛辣な言葉を使って気づかせてようとしてくれていたのだと思います。
感情的ではなく冷静に見ることができれば、その判断が正しいと思えるのかもしれませんが
ややもすると私たちは物事を見て
- 正しいか、正しくないか
- 適切か、適切でないか
で判断を下すことが多いです。
しかし自分の人生において重大な選択、そのときの自分の行動をどう決定するかというのは
正しい、正しくないと論理的に割り切れるものではなく
好き
嫌い
イヤだ
やりたくない
近づきたくない
怖い
もっと感覚的に自分の感情を一致させないことには行動と感情が分離して、頭では正しいとわかっていても心が納得しないことが多いのではないかと思います。
それが今の私の状態です。
カウンセラーが実際にいじめの起きている職場を見ているわけではなく、女上司に言われた言葉や伝えた状況を判断して私に指示を出しているのです。
同じ会社の他部署にいた唯一話ができたパートの女性は、私がいじめられていると判断をしているのに対して
そのカウンセラーからは以下のメールが来ました。
(その女性上司は)あなたに成長してほしいと願っている
その他人が、表現力がないけど
教えてあげたいという気持ちが高まると、
「それじゃ、失敗する」と、指摘することは
わたしは、根底には愛がなければできないことだと思います。
なぜなら?
恨まれるからです。
だって、自分の嫌な点を指摘するって、
すっごく勇気がいることですから。
愛を感じない人には、良い人ぶって、いい顔だけ見せておきたいですもん。
私には百歩譲っても、女性上司に愛情があるとは到底思えませんでした。
ただ自分の気に食わない人間を攻撃したい、陥れたい、ほかの人を身の回りに固めて自分は正しい、自分に逆らう人は村八分にして排除する、追い詰めるという人間にしか見えませんでした。
以前レーシックの手術で、あなたの年じゃ無理だから!と女上司が割り込んできた話を取り上げましたが、常に自分を正当化し他人をこうだと決めつける印象がありました。他の人に対しての愛情ではなく、侵略ではないのでしょうか。
仮に万一それが正しかったとしても
私には自分を擁護してくれる人が必要だったのです。
すでに自分責めは十分すぎるほど自分に浸透していました。
それ以上自分を苦しめず、自分を無条件で擁護してくれる人がほしかったのです。
どんなひどく苦しい状況であっても自分の味方がほしかったのです。
カウンセラーは違いました。私は間違った選択をして自分を苦しめることになってしまいました。
人は自分の気持ちにはうそつけません。それは一番自分がよくわかっています。
「ご指摘ありがとうございます」の記事にも書きましたが、自分の気持ちとは真逆の誤った判断をしたがゆえに後々自分の首を絞めることになりました。
他人が自分の人生の責任を取ってくれるわけではありません。そのカウンセラーに頭脳は言いなりになったとしても、当の本人は欝々とした気持ちで過ごしていくことになります。自分の気持ちに正直になるべきでした。言われた意地悪に対して「ご指摘ありがとうございます」なんて、みじんも思ってもいないことを言えば自分が苦しいだけです。
「あなたのためだから」というアドバイスは暴力になる
こちらの本を読んでいて思ったことは、
相手が自分の領域を侵している
いうことです。
「相手があなたのために」と言っていることが、実は何が自分のためになるかがわかるのは自分だけだからです。
例えばレーシックの件で、女性上司が「あなたの年じゃレーシックやってもダメだから!」と踏み込んでくるのはあきらかに領域の侵略でしょう。相手に「領域」に踏み込まれ、決めつけられている。そしてあなたのため思って言っていると言われてしまうと、相手は私のためを思って言ってくれているのだから反発するべきではないという思考が動いてしまうのです。
=べき思考
こう言われたからありがたく受け入れるべき
この本の著者は、そうではなく「自分の領域に踏み込まれて不快だな」という感情を大切にしてほしいと言います。
カウンセラーの言葉も同じくそうでしょう。
あなたのため思ってこれが最善と思って案を練ってくれたのだからそれに従うべき
=べき思考
一見良い情報に思えても「自分を否定する要素」が入っていたらそれは役に立たないと言います。
アドバイスというのは基本的に「あなたのここがよくないからこう直せば?」という現状否定の上に成り立ちます。自分の現状を否定されれば誰でも傷つくので、相手が言っていることが正しいと思っても負荷になって当然でしょう。
アドバイスでももちろんためになるものもありますが、それは相手の現状を把握し、認めた上で、「そうしたいならここを変えてみたら?」と相手に実現可能な範囲で提案するもの。
それを前向きにできる人もいればできない人もいて、それに対してイライラするのはアドバイスする側の責任といえます。
アドバイスされたときに、嫌な気分になるとしたらそれは自分を否定する要素が含まれていると考えるのがわかりやすいでしょう。そして毎回自分を否定されなければ新しいことを学べないのかと言われればそういうわけではありません。もっと自分を大切にする学習法や勉強法はたくさんあると筆者は言います。
ガツンと言ってやることが親切だと思っている人が多いのも事実。
悪気のないアドバイスで傷つくのは当然なのでそういう人から逃げることも必要です。
まとめ
相手がよかれと思う助言=自分の最善とは限りません。
自分の意志に反することを相手のアドバイスだからと渋々行う、もしくは我慢することは自分を傷つけることに繋がります。
自分の感情を無視しているからです。
生きる、死ぬ以外の状況で、もし選択肢があるとしたら、
絶対に自分の感情と行動を一致させたほうがいいです。
会社に勤めている場合はなかなか本音と建前があって伝えにくいことはあるかもしれませんし、地位や立場もあり直接言えないこともありますが、本心とかけ離れた行動をしていたり、我慢し続けると苦しくなります。
そして最後に、自分が行った行動に対しては自分が責任を取らねばなりません。
しかし私のように悪口を言われて心から思ってもいないのに「ご指摘ありがとうございます」なんて口が裂けても言わないようにしてほしいです。それは精神が落ち着いている上級者ができるテクニックであって、頭の中が錯乱状態だった私はただカウンセラーに言われるがままにそう返答しましたが、今考えてもそれは間違いだったとはっきり言えます。そこで揉めて波風立てて辞めるのが正解だったと思っています。
「誰かに言われたからやった」と言っても結局はそれをした本人が責任を取らねばなりません。繰り返しになりますが、アドバイスをした他人が自分の人生の責任を取ってくれるわけではありません。前述のとおり、アドバイスにはその人の主観が入っていてかならずしも善意ではなくやりたくないことには自分を否定する要素が入っています。それが自分を傷つけるのです。
うのみにした自分が悪いと言えば悪いのですが、心とは真逆の行動をしていたために後悔しかありません。操り人形にならないためにも自分の意志を貫き通すということも大切かと思います。たとえ何があっても失ってはいけない自分の魂。これを他者に明け渡さないことです。
- 自分の感情が嫌がることはやらない:感情と行動を一致させること
- 他者のアドバイスには自分を否定する要素が入っていることがある
アドバイスのとおり行動しても他人は自分の人生の責任は取ることはない - これだけは譲れないという自分の意志を尊重することが重要
毎日死を考える、頑張っていても八方ふさがり、どうしても精神的に病んでしまったときは退職することは悪いことではありません。
この記事の中でも述べていますが、危機的状況にいるとき人間は3つの行動しかとれません。いじめにあったときは逃げるのが一番と脳科学者の中野信子さんもおっしゃっています。
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