なんだか最近タイミング悪いなと感じるときはありませんか?
私の場合で恐縮ですが、玄関開けたら目の前に嫌いな近所の人とバッタリ会った、などか立て続けに起こったり、今日は出ていくときにちょうど東京ナンバーの車が入ってきたり…
なぜかタイミングが悪いということが続いています。
宝くじが当たらないとか、肝心なときに台風が来るなど、自分がいくらどう頑張っても、努力などではどうにもならないことは多くあります。
しかし数えきれないくらい時と場所、タイミング、運が悪いなと感じることがいくらでもあります。
- 自分が欲しいものが目の前でたまたま売り切れてしまった
- 乗っていた電車が人身事故に巻き込まれて何時間も動かない
- 平日の昼間なのになぜか工事をしていて、しかも信号が赤続きで約束していた間に合わなくなった
- そして約束の時間に急いで行ったのに相手に待たされるはめになった
- 駐車場の空きスペースがなく遠くに止めに行ったすぐ後に近場のスペースが空いた
- 歯科治療が終わった次の日に、違う場所が取れてまた追加の費用+時間がかかった(私)
ちょっとした不調やタイミングのずれ、自分にとっての不利なことが無限にあるように感じて、起きてしまったことを悪い癖で収集してしまうんです。
あんなこともあった!
こんなこともあった!
ってね。
そういうときどうしたらいいのかって考えています。
私のようにネガティブ思考の人は、ネガティブの沼に入ってしまうとなかなか抜け出すことができません。
運気を下げないことのほうが大切
そんなときにワタナベ薫さんのブログで面白いことが書いてありました。
「運気を上げるよりも下げないことが大切」とあります。
運気は高くなくても、低くなければ何とか日常過ごしていける、しかし運気が低いと低いスパイラルにはまって抜け出せなくなる…とおっしゃっています。
なるほどなぁ…!と思いました。
運気を下げる行動というのは主に…
・ズルいこと
・意地悪なこと
・行動しないこと
・人に嫌なことをすること
・頑ななこと(素直ではない)
・他責(他人のせいにすること)
・気分が悪い状態に長く身を置くこと
すべてのエネルギーは
自分が出したものが入ってくるもの、受け取るもの
嫌なことを受けているのは
自分が嫌なことをしていないか?と振り返ることが重要なようです。
出したものが負のエネルギーでないかどうか。
ワタナベさんが指摘していた
気分が悪い状態に長く身を置くこと
これは心にも体にもよくありません。
たとえば会社で私がされていたように職場いじめの環境で長いことを身を置くと、精神的にズタボロになります。自分で自分のことをぞうきん以下の扱いにしてしまっているようなものです。
今図書館に来てこの文章を書いていますが、
西日が傾いてきて日当たりが厳しい席があります。暑い💦
ロールカーテンを閉めていても暑いし光がまぶしいです。
そこしか空いていないのでしぶしぶ座りましたが、席が空いてきたらほかの席に変わるという選択とも自分を大切にする、ということになると思います。
HSPの人は周りの雑音や、人の出す音に敏感で、周りに人がいないかどうか気を付けることが必要です。同じ席に座ったオジサンの本をバシンと置いたりガサツに扱う音、新聞をガサガサする音や、鼻をすする音など、私はとても気になって集中できません。→HSPあるある
自分の感性を信じる、自分の快・不快を察知して、その快適な場所をかなえてあげることが大切かと思いました。
感謝すること
ワタナベさんは感謝することについても触れていらっしゃいますが、
この力は絶大だと思われます。
上の記事にも書きましたが感謝することの効用は、その書いている時間だけではなく、書いた後も持続するといいます。
私はいつもお風呂に入っているときに深い感謝をします。
毎日汗だくになった体を癒してくれる、なんてすごいことなんだ!っていつも思います。
普通にお湯が出て、シャワーが浴びてさっぱりできる!最高です。
災害に遭えば毎日お風呂入ることができません。
思い出せば数十年前、水不足になって水が使えなくなった時期もありました。
水が出る時間が1日4,5時間それも夕方だけでそれ以外は全く出ないのです。
しぶしぶ私はほかの友達の家のシャワーを借りていました。
トイレもそうですよね。行きたいときにちゃんとトイレがあることは素晴らしいことです。
家のトイレもちゃんと掃除してあげようと思いました。毎日壊れずに流してくれて本当にありがたい限りです。また日本ではスーパーやモールなどお店にはだいたいどこでも公衆トイレありますし、清潔に保たれていて紙がないところも少ないと思います。
家にいれば冷房をつけて熱中症なくオリンピックをTVで見ながら過ごすこともできますし、ネットも通じて快適にドラマ見たりYouTube見たり情報を入手できます。
通常の生活をしていることが、どれだけ恵まれているかわからない恩恵にあずかれているわけです。
災害時や有事にならないと、このありがたみはわかりません。
当たり前のことは当たり前ではないのです…
これは父を失って思うのですが、やっぱり親とはいろいろなんだかんだあっても
感謝をしておくべきだったなと強く思いました。
不運と不幸は違う
そう考えてみると
不運なこと、タイミングが悪いということは
不幸とは違うのではないんじゃないかな?
と自分の頭ではひらめきました💡
不運であることは、その後人生を左右すること
たとえばオリンピックの選手がたまたま
- 直前にけがをしてしまった
- 事故にあってしまった
- コロナにかかってしまった
などは人生を左右に分けることではありますが
しかしそれを不幸ととらえるかどうかはまた別な気がします。
私の先ほど出した例(嫌な人に出会ってしまったなど)は、選手や著名人、実力者の方と比較するに恐れ多くて取るに足りないものですが
その不運をそこまで重視、引きずらなくてもいいのではないかと思い始めました。
今、ここに集中して
嫌なことを引きずらないことが大切かもしれません。
私も、過去に遭ったいじめの記憶、そこからいい加減旅立ちたいです。
忘れることはできないけれども、
それに囚われて生きるということは今の自分の人生を生きることに逆行していることになるからです。
今の楽しみや喜びを見失い、過去だけに焦点を与え続け
そして自分が何もせずに年を取ることになっていくのは避けたい。
今までもう何年無駄にしただろう。
今の自分に
何が好き?
何をしたい?と聞かれても
すぐにパッと答えられない。
大好きなことって何?
好きなことをしろと言われてもすぐできない。わからない…
それだけ感情を押し殺してきたわけですよね。
タイミングが悪かったことで、そのあとの気分まで引きずるのは
将来の自分の持っている時間までもったいないことになります。
いま、ここに集中して、自分が持っている恩恵、すでにもらっているもの、あるものに目を向けようと思います。=感謝が大切ということですね。
最後までお読みくださりありがとうございました!
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